「いじめがなくなってほしい」これ、本心からの発言ですか?

「いじめが嫌い、なくなってほしい。」という声は多いです。過去にいじめられていた僕からすると、これが本心からの発言であればとてもうれしく思います。

ただ実は今、敢えて「本心から」と前置きをしたのには理由があります。こういう発言をする人たちの中には、”いじめられたくないけどいじめは必要”と考えている人がいるのです。要するに、過去に自分をいじめたイジメっ子が他の奴らからいじめられることを望んでいるということ。

これって、自分はいじめられたくないけれど、いじめ自体は必要としていますって言っているようなもんじゃないか!と思うわけです。

確かに過去にいじめられていたのなら、イジメっ子に因果応報や制裁が与えられると嬉しいと思うのは仕方ないことかもしれません。僕はコレ自体をダメだとか言うつもりはない。

ただ、それなら最初から「いじめが嫌い」だとか「いじめがなくなってほしい」とか言うなって思うのです。

「いじめがなくなってほしい」と主張するくせに立場が変わればいじめを楽しむって、これ、結局のところいじめがなくなってほしいとなんて思っていないわけですからね。

因果応報を好むのは結構ですが、嘘をつかれるのは不快です。