全く勉強せずに生きたけど後悔はない。それでも、過去の自分に伝えたいこと。

今まで全く勉強せずに生きてきた。21歳になったけど、過去の自分が勉強してこなかったことを後悔したことは、無い。

後悔してるからこそ、こういう記事を書こうと思ったのではないか。と言われそうだけど、本当にそんなことは一切ない。むしろ、後悔をしたいくらいだし。

じゃあなぜ書くのと言われれば、今現在僕より若くて、まだまだやり直しの効く人たちにほんの少しでも参考になれば良いと思ったからだ。

それなら、「今学生の方へ」って感じのタイトルにした方が良いのかもしれないけど、僕なんかに偉そうに勉強しておいた方がいいって言われても、あまり響かないと思うんだよね。有名人ならともかく、見知らぬ人だし尚更。そもそも、馬鹿に言われても説得力がない。

そんな意味のない記事を書くくらいなら、「今まで勉強せずに生きてきて、後悔すらもしていない底辺人間が、過去の自分に伝えたいこと」としたほうが、多少は価値が生まれる記事になるだろう。今まで勉強してこなかった人間の心境とか、後悔すらしていないのに過去の自分に伝えることなんてあるのかとか、気になる人、少しはいるんじゃないだろうか。たった一人にでも需要があるのなら、書き手としては幸せなことなので、今日は過去の自分に伝えたいことを書いてみることにする。

過去の自分と言っても、中学生とか高校生くらい。5-8年くらい前の自分に向けて。

勉強をしろとか言うつもりナシ。ただ、時間を大切にしよう

勉強しろなんて言ってもしないことは分かりきっているので、勉強しろだなんて言うつもりはない。
というか、勉強をしてこなかったことで困ったことは何一つないし、まあ出身校を答えるのが恥ずかしいってのは正直有るけど、これもそれほど苦じゃない。別に後悔もしていないしね。

今、勉強をやりたくないのなら、無理にやる必要なんて無いと思う。これは心からそう思っている。

大事にしてほしいのは、時間。嫌なことに時間を費やすより、やりたいことに時間を費やしてほしいと思っている。

どうして働かなくちゃいけない?

ただし、その上で分かっておいてほしいのは、これから生きていく限り少なくとも働かなければいけないということ。

どうして働かなくてはいけないのか。もちろん、生きていくためという意味もあるにはある。でも、着目してほしいのはどうしてお金が使えるのか。という部分だったりする。

平和な時代だからこそ、通貨は安定しているけれど、貧しい時代だったらどうだろうか。お金という紙切れよりも、明日生きるために必要な、食料とか水が大切にされる。こんな時代では、お金という紙切れと食料は交換してくれない。

今、お金で食料が買えるということは、実は奇跡的なことなんじゃないだろうか。お金を稼ぐというのは、社会に還元しているということだと、強く痛感している。社会に還元していない人に、限り有る食料を食べる資格が無いということだ。

いや、社会に還元しなくても生きる権利はあるんだけど、誰からの支えも必要ないのなら、自分で食料を生産して、自給自足で暮らして行けって話。

でも実際はどうだ?電力にしろ、水道にしろ、食料にしろ、代わりに生産してもらってる。支えられている。過去の僕は、お金を使って社会を支えるものだと思っているかもしれない。でも実は逆。支えられているからこそ、お金を使うのだ。

今はモノと、サービス業と呼ばれる代行業が巷に溢れかえっている。こういう世の中で、消費者のほうが立場が上だと勘違いする野郎が増えたが、これは大きな間違いである。例えば、外食。来てくれと頼まれたわけじゃないんだから、家で自分で調理して食事すればいい。それを自ら足を運んで、作ってくれ、と依頼する訳だから、お金を払うのは当然。ただ、溢れかえったモノ・サービスは消費者に使われなくなった途端、終わりを迎える。消費者は、別のモノ・サービスに乗り換えればいいだけで何も困らない。つまり、結果的には支え合っている。

ただ、生活に必要なインフラとか食料に関して言えば、価値は完全にモノにある。ならば、自分も違うことで社会に還元しなければいけない。一方的に支えてもらうのは、なんとも都合が良すぎる話だからだ。

これは何も嫌な仕事をやれって言っているのではなくて、社会に還元できることであれば自分の好きなことでいい。好きなことのスキルを今からとことん身につけていってほしいのだ。

誰でも出来る仕事は自分がやる必要はない。

どうして好きなことのスキルをとことん身につける必要があるのか。普通の会社に就職して、言われたとおりに働けばいいのではないか。そう思うかもしれない。

だけど、誰でも出来る仕事は、作業と呼ぶに近いものになってしまう。すると、自分がやる必要ってあまりないんだよね。さっきの「社会に還元する」って話はスケールが大きかったので、もうちょっと過去の自分に興味の有りそうな話で考えてみよう。自分でやる必要のない仕事ってのは、給料少ないよって話。

例えば僕は今飲食業で働いてるけど、これも誰にでもできる仕事である。だからこそ、参入する会社も多くて、競争が激化する。削れる無駄は削ってきたから、もう人件費くらいしか削れるものがないんだよね。でも人手不足の社会だから、そんなことを露骨にする会社は急速に減っていって、業界では良い額を提示する会社も増えている。実際、高卒では良いと思えるお給料を頂いているし。けど、これ以上の期待は難しい。会社にはそんなお金が残っていないからだ。

ブラック企業の批判に、経営者が搾取しているという主張がある。これは確かに、そういう会社もあるんだろうけど、人手不足で倒産する会社は、給料を上げられないから人がどんどん辞めていき倒産するのだ。つまりは、会社にも経営者にもお金が残っていないというパターンも、かなり存在している。これは必然の結果で同情の余地もないけど、これから日本の人口が減っていって、経済が縮小すると言われている中で、外食産業のミライはすごく暗い。給料に関してはあまり期待できないだろう。誰でも出来る仕事というのは所詮こんなものだ。(もちろん、飲食業であっても、この人にしか出来ない!という仕事をすることは出来るよ)

少し話を変えてみよう。誰にでもできる仕事で一ヶ月に20万稼ぐ。これって、実はスゴイことだよという話。

会社や組織に属さずして一ヶ月に20万円を稼げる人って中々居ないと思うんだよね。会社に属しているからこそ、スキルがなくても、(慣れさえすれば)誰にでもできる仕事しか出来なくても一ヶ月に20万稼ぐことが出来る。

ブラック企業は法的に問題視されているので、擁護するつもりは断じて一切ない。だけど、一時の感情だけでスキルを持っていないのに給料に対する愚痴を言う人にはなってはいけないぞ。もちろん、働いている以上、向こうから感謝されることも核心部分で非常に重要だけど、給料を頂いているという点においてはこちらも一定の感謝をする必要があるだろう。法律遵守している一般的な企業の会社員なら最低限の給料が保証されるので尚更。

ただ、同時に会社の業績によって上下したり、スキルが有る人間なら搾取されたりする可能性がある。それを防ぐためにこれから考えていって欲しい一つの基準は、上記にも示しているけれど、会社や組織に属さずしていくら稼げるか?ってこと。

これを追求していけば、必要とされる人間になって、必ず生き残れるはずだから。

そのためには勉強が必要なんだけど、でもまあまず最初は、やりたいことを極めるってことから始めて行って欲しい。いずれ勉強が必要になったとき、それは嫌なことじゃなくなっていると思うから。その時は、きっと楽しく勉強出来るようになってるだろう。

おわりに

まあ以上が、過去の自分に伝えたい事で、割と今の自分からすると、伝えたいことを伝えきった感はある。

ただ実際、今の僕がやっているかと言ったら、やっていないことも実は多くて。でも、書いているうちに自分で気付かされた部分とかめちゃくちゃあったので、たまにはこういう記事を書いてみるのもアリだな、なんて思った。

あとは、一通りスラスラ書いた後に読み返してみると、意識高い系みたいな記事になってて、多少・少々どころか、大いに引いているのだけど、もうこればかりは仕方ない。頑張って直していこう…。