怒られることが異常に怖い…。 一番実践すべき克服方法はコレ!

怒られるのが異常に怖いと感じてしまう人、いますよね。僕もその一人でした。

とにかく昔から悩んでいて、「怒られ続けたら慣れるかな」なんて考えていた時期もありましたが、改善する気配は一向になし。それどころかどんどん恐怖心は増していきました。

ネットでも「怒り 怖い」とかで検索して、解決法を探しましたが、出てくるのは「慣れ。怒られ慣れよう」というものばかりで、またまた悩むのです。

確かに怒られ慣れる人もいるんでしょうが、少なくともボクの場合は悪化してしまったので、「もっと何か別の方法はないの?」と主張したくなりました。

ということで、今回は「どうすれば怒られ耐性を付けることが出来るのか?」をテーマに書きました。

怒られるのが極度に怖いと感じている方、必見です。

”怒られ慣れる”は効く人、悪化する人がいる

「怒られ慣れろ」を鵜呑みにするな!

「怒られてナンボ!」という意見。やはりまだまだ根強いです。僕自身、この主張を否定するつもりはありません。

でも、具体的にはどうすれば慣れるんでしょう? 怒られる回数を増やせば良いんですかね? じゃあ、100回くらい? え?人による? じゃあ1000回でも慣れない人がいると?

じゃあ、1000回にたどり着くまでの間はどうすればいいんだよ!!!

こんな質問をすると、今度は「根性で耐えろ」って意見が出てくるんですが、根性がない人はどうすれば??

勘違いされるのが嫌なので書いておきますが、ボクは根性論についても否定はしません。ですが、根性の強さもまた人それぞれで、耐えられる人がいれば耐えられない人も必ず居ます。

「怒られ慣れろ」と主張する人は、ここまで深く考えているのでしょうか? 恐らく、考えていないですよね。考えていれば、耐性のある人ない人を一緒くたに扱わないでしょう。

あともう一つ残念なのが、この手の意見はボクの経験上、最終的に「自分で考えろ」って主張で終わってしまうことです。質問に対して意見をくださるのはとても有り難いことですし、他人に聞くだけじゃ解決しないので、真摯に受け止める必要があります。

ただ実際問題、幼少期から悩みを抱えており、長い間考えた上で分からない人が質問しているケースが多いように思うので、このアドバイスでは解決しません。なんせボクがそうなんですから。

”怒られ折れる人”は事実として存在する

先に僕の過去のお話をさせてください。

ボクはクレーム対応とテレマーケティングを経験しました。広く一般的に”迷惑営業電話”なんて呼ばれ方をする業務です。

いわゆる”セールス電話”ですので、下手すりゃクレームよりも酷い叱責を受ける場合があります。というのも、クレームの場合、大抵はお客様がお店やサービスを選びます。お客様からすると「利用させてもらっている」という側面もあるので、良識あるお申し出がほとんどなのです。

それに対してセールス電話は、飛び込みです。利用していないお客様に商品・サービスを売り込むので「そんなのいらない! 迷惑だから掛けてこないで」となるのは当然です。

更に21時前まで電話をかけていました。そんな時間、迷惑だし怒るのは当然です。掛ける方だってそれくらい理解してますよ。でもそれが仕事だったのです。

21時前になると怒るお客様がほとんどだったので、あの頃はほぼ毎日怒られていましたが、怒られ慣れることは一切なく、それどころかどんどん萎縮していきました。

このように、”怒られ慣れろ”は解決しないどころか、人によっては悪化してしまうんです。

もし現在進行形で怒られ慣れようとしている人がいるのなら、別の可能性を模索してみたほうが良いかと思います。

怒られることに耐性を付けるには?

人が怒る理由を理解する

どうして人は怒るのか。これを理解しているのと理解していないのでは、怒りへの耐性も変わってきます。なぜなら、怒りは目的意識を持って行うものだからです。

その目的を理解できていなければ、ただ”自分に降り掛かっている危機”としか認識できません。もし、目的が理解できれば「誰の問題なのか?」が明確になるので、自分が原因じゃないと判断できれば、切り離して考えることが出来るので、少なくとも自分への危機という認識からは脱却できます。

http://www.mfudn.com/entry/anger-management/www.mfudn.com

これは以前ボクが、怒りをコントロールする心理技術「アンガーマネジメント」について執筆した記事です。怒りのメカニズムなどを解説しているので、こちらの記事もお役に立てるはずです。

怒りに対する”意味付け”を変える!

怒られても平気な人と臆してしまう人の違い

ボクのように怒りを恐れてしまう人は「怒り=怖いもの」と意味付けしているので、怒りに怯えてしまうのです。

なので耐性を付けるには、自分の中で怒りに対する意味付けを変えなければいけません。
よくいるじゃないですか。怒られているのに全然恐れていない人。

怒られても平気な人は怒りにどんな意味付けをしているのでしょう? 臆してしまう人と一体何が違うんでしょう?

ボクは以前バイトしていた飲食店で高校生の子を怒ったことが何度もありましたが、平気そうにしている子がほとんどでした。ボクが怖くないのでしょうか? それは確かにあるかもしれませんが、ボクを恐れている人も一部居たんですね。

なのでここで着目したいのは、どうして怖いと思わないのか? という点です。

怒られても平気そうにしていた彼らの目は、ボクを憐れんでいました。それは「必死だな」と言わんばかりの目。
これ、要するに他人事だと思われていたって考え方はできませんか?

怒られるのが怖いと感じている方にお聞きしたいんですけど、怒りを他人事だと思ったことってありますか? ボクはというと、怒りは今まで自分に向けられているものだという認識があったので他人事なんて思ったことは一度もありませんでした。

だって、自分が悪いことをしたから怒られているんですよ? 普通にしていれば怒られることは(理不尽な例を除き)ありません。テレマの例で言えば、僕個人ではなく会社へのお申し出かもしれませんが、僕も会社の一員なのでやっぱり他人事なんて考えは出来ないのです。

なので、怒りを自分に向けられているものだと思えない人がいるのは衝撃を受けました(実際は知りませんがそう見えたのです)。しかし今だからわかりますが、実はこれこそがヒントだったのです。

怒りは相手のもの

怒りは、怒っている人のもの。

一見すると当たり前のことかもしれませんけど、どうですか? 今までこの視点で考えたこと、ありましたか? ボクは正直、無かったですね。言われてみると当たり前のことなんですけど、考えたことはなかった。

そもそも、怒りはむしろ積極的に誠心誠意受け止める必要があるものだと思ってました。でも実際はそんなことありません。もちろん、怒りながら発言している相手の”主張”は受け止めなくてはいけませんが。

ただ”怒り”に振り回されるのは悪なのです。
”怒り”も含めて受け止めてしまうと、それは相手をレベル分けすることになりかねません。

クレーム対応の場面で言うなら商品に髪の毛一本入っていて大きく怒鳴るお客様もいれば、ビニール片を口にされても丁寧なお客様はいらっしゃるので、怒りに振り回されて「髪の毛一本が混入していたお客様のほうが不快感が大きい」としてしまうのは、丁寧なお申し出をしてくださっているお客様に対してあまりに失礼ですよね。実際の問題レベルとしてビニール片が入っていたことのほうが明らかに重大です。怪我に繋がるんですから。

他の場面でもそうです。小さなミスで激しく怒られて、大きなミスであまり怒られなくても、問題レベルの差は確実に存在します。怒りに左右されるあまり、その優先順位を変えるようなことがあってはいけません。

以上のことから、怒りという感情に振り回されるのは明らかな悪と言えるでしょう。大事なのは主張そのものだけを受け”止める”ことだけです。感情自体は他人事だと思う必要があるのです。

意味付けを変えることは、解決の可能性を飛躍的に向上させる!

www.mfudn.com

以前、あがり症改善についての記事を書いたことがありますが、これも意味付けや視点転換という意味では似たような記事になっています。

この”意味付け”、人生において非常に大きな影響をもたらします。

例えば、会社をクビになったとして、どんな意味付けをしますか? 大まかに分けての2つのパターンがあると思います。

一つは「終わりだ…」という絶望。二つ目は「新しい挑戦が出来る!」です。どちらを意味付けするかによって全然違う結果になると思いませんか? 意味付けって、これくらい大きな意味を持つんです。

「慣れろ」を否定はしませんが、それよりも、今までになかった視点に意味付けする方が解決の可能性がより早く、そして飛躍的に高まるのではないでしょうか。

さいごに

では、最後に「怒りは相手のもの」だと意味付けするために、もう一度大事なことを厳しく書いておきます。

たとえば、怒りを武器にあなたを攻撃してくる人を敵だとしましょう。そして怒らずに、良識ある言い方であなたに意見を言う人を味方と呼ぶことにします。

味方だって、怒りたい時は当然あるはずなんですね。でもその気持ちを上手くコントロールしたり、我慢して、普段から丁寧な言い回しを心がけてくれているのに、敵の攻撃だけに目を向けて、味方の心遣いに目を向けられないのは、謙虚さが欠如しているとしか言いようがありません。

怒りの大きさ=問題が大きいというレベル分けは完全な誤りです。これは上記でも、髪の毛とビニール片の例でお話しましたね。

だからこそ、怒りという感情は相手のものだと割り切らなければいけないのです。これはただ単に「怒りを恐れてはいけない」と言っているわけではなく、味方の心遣いを踏みにじってはいけないという意味でもあるのです。

さてさて、長々と書いてしまいましたが、何度でも言うようにこれは自分への戒めも込めた記事になっています。ボクはこれで随分と耐性が付きました。

こちらの記事もどうぞ!

怒られるのが異常に怖いという人が知っておくべき3つのこと