「それがどうした?」って返答をしないように心がけている理由

会話中、誰しも一度は「それがどうした?」「だからなに?」「でっていう」と返したくなるような経験があると思います。

こんなふうに思ってしまうのは論点がズレていたり、自己完結していたり、その主張をしてくる趣旨が受け取れないようなときでしょう。まとめて言うならば、相手の伝え方に問題があるときです。

だから、「それがどうした?」と返答することも、言われることも仕方のないことです。

ただ、ボクは極力そのような返答はしないように心がけています。

わざわざボクに主張してきたのは理由がある

「それがどうした?」と返したくなるのは、論点がズレていたり、自己完結しているような主張の趣旨が受け取れない場面だと書きましたね。まずは、自己完結の話から書きましょう。

ボクはある意味、「自己完結していると自分が勝手に錯覚しているだけだ」 と考えます。

というのも、相手は”ボク”に対して何かを語りかけているわけですから、本来の意味で自己完結しているとすれば、相手に自分の意見を主張する必要など無い。つまり、ボクに向かってその主張をしてくるということは、何らかのレスポンスを求めているはずなんです。

伝え方に問題があるせいで、その本質に気付くことが出来ないけれど、何かを伝えようとしているということはほぼ間違いないでしょう。

だからこそボクは、相手が何を伝えようとしたのか? を考察してから返答したいのです。

「それがどうした?」は突っぱねる言葉になり得る

では次に論点のズレに関して。

「それがどうした?」って言葉には、「結論は何?」と聞いているだけの場合もありますが、「俺の言いたいことはそんなことじゃねーよ!」という意味を含んでいる場合もあるかと思います。例えば、相手の論点がズレている時なんかそうです。「俺が言いたいことはそんなことじゃねえが、仮にそうだとしてそれがなんだ?」とでも言いたげな。

ボクは会話において相手と論点のズレがあったとき、聞き手に認識能力がないのではなく、伝え手の努力不足だと考えている*1のですが、そうするとこの場面で言うならば、論点をズレた主張をしてきた相手に問題があるように思います。ただ、これには重大な考えが欠如してるんです。

それは、
相手の論点がズレたのは、その一つ前にボクが言った台詞に誤解を招く表現があったからではないか?ということです。

自分の主張が誤認されていれば、相手の主張の論点がズレていることにも頷けますよね*2。とすると、「それがどうした?」という発言は相手を突っぱねることになりませんか?

相手は誤認を自覚していないのだから、「それがどうした?」と言われると、「どうしたも何も、思っていることを伝えだけ」と返答するでしょう。すると、大抵の場合「俺に言う必要あったのか?」と自分は思ってしまいますが、これには「お前の意見なんか求めてない」という意味も含まれるのです。

どういうことか、もう少し噛み砕いてみましょう。そもそも、相手の意見を必要としていれば「俺に言う必要あったのか?」とは思いません。必要性を検証するまでもなく、必要だからです。

じゃあなぜ「俺に言う必要があったのか?」という考えに至るのでしょうか。これは”必要性を感じていないのに提示された”からです。

もっと分かりやすく書けば「お前の意見なんか求めていないのに勝手に意見を述べだした」から、「俺に意見を言う必要性はあったのか?」という必要性の検証をする訳です。

 

会話は、「お前の意見なんて求めていない」と言われたら、それで終わりです。(会話自体は続いたとしても、「じゃあ何で俺に話しかけてきた?」というような全く関係のない話題にシフトし、最終的にはどっちが悪いか合戦になります)

更に言うなら「それがどうした?」って返答も「お前の意見なんて求めていない」という意味を含んでいるので会話が終わります。相手は自分の言葉に対して反応してくれているのに「それがどうした?」って返しは、あまりにも無関心さがにじみ出ていないでしょうか。これは相手の主張を突っぱねているも同然でしょう。

もしかしたら「反応してくれなくても構わない」という人もいるかもしれませんが、それは自己欺瞞です。本当に反応を求めていないのなら、それを口に出す必要は無いのですから。

論点のズレを解消するために

ボクのブログは開設して半年経ちますが、はてぶは一件もついたことがないし、Twitterにもほとんどリプは届きません。だからこそリプが来た時は超嬉しいのです。誹謗中傷は怖いですが、批判はありがたいことです。

日頃から多くの人との関わりがある人は、反応が当たり前でありがたみを忘れてしまうことがあるかもしれませんが、もしそのような人がこの記事を万が一にでも見ていることがあれば、あなたに来る反応の数々はボクからすればとても奇跡的なことだと、再度ご認識頂きたいのです。

ボクには以上のような経緯もありますから、現実の会話においても、せっかく相手が自分の言葉に対して反応を示してくれたのであれば、出来る限り謙虚に答えたいと思っています。

なので「相手が何を伝えようとしたのか考察してから返答したい」と書いたのですが。。。まあ、これは大抵の場合うまく行きません。「それがどうした?」と思ってしまう時点で、相手の伝え方に問題があるからです。

ただ、意味が分からなければ「つまり、それってどういうこと?」と聞き返せば、相手は答えてくれます。そうすれば、相手がどうしてそのような発言をしてきたのか、理解できるでしょう。

これは思った以上に大きな意味を持ちます。この聞き方であれば相手の主旨を理解できるので、「それがどうした?」という返答より建設的です。

そこで論点の違いが明らかになれば、「すまない。そういうつもりで言ったんじゃない。…」と続いて説明することで、相手にも自分が本当に伝えたかった主旨を伝えられます。「それがどうした?」は、論点のズレを認識できないまま話が終わってしまうので非建設的です。せっかくの会話だというのに、これは残念なことです。

どうせ会話をするのなら、相手の話を受け入れられなくとも、受け止めることはしなきゃいけないと思っています。それが、反応(返答)をしてくれた方への敬意ではないでしょうか。

うまく伝えられるよう努力しよう

約3,000文字書いておきながらいうのもあれですが、最初に書いているように、「それがどうした?」と返答することも、言われることも仕方のないことだと思っています。これが悪いことだとは思ってませんよ。

ですが、「それがどうした?」と言われる方はやはり快くありませんし、誤解している自覚がなければ突っぱねられたと感じる人もいるでしょう…。それだけで縁を切るようなことはなくても、会話は減ると思います…。

もしかしたらの話ですが、多用し続けていると、自分に反応を示してくれる人はいなくなるかもしれません。だからこそ、反応にありがたみを感じて謙虚な姿勢でいることは大切だと思います。

ほんのちょっと工夫するだけで違う視点が得られたりするもんです。その視点は自分にとって役立つものになるかもしれません。一つ一つの経験を大事にしていきませんか?

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*1=会話は、聞く(=聞き手)だけではなく、読む(=受け手、読み手)もあります。伝え手の対はまとめて言うならば、想定する相手です。想定する相手に伝わっていない時は、伝え手の責任だと考えています。つまり声における一対一の会話であれば、そのまま相手です。では、ブログなど不特定多数へ向けて伝える場合はどうなのか? という点ですが、想定する読者には上手く伝えられるよう努力するべきだと思っています。なので例えば、英語中級者に向けて記事を書いているのに、初心者に上手く伝わらないのは仕方がありません。ですが、中級者に向けて書いているのであれば、自分の想定している”中級者”に伝わるよう努力するべきという意味です。想定する読者に対して自分の思っていることをそのまま文章に落とし込むということについては、ブログを運営してから非常に難しいことだと感じていますし、それを出来ていないボクが言うのも説得力がないかもしれませんが><。。 あともう一点。ブログやTwitterで批判や質問を頂いても、想定していない読者からの場合はスルーすることも大いにあります。中級者向けの記事で、知識を持っていない初心者から質問されてもそれは謙虚だとは思わないのです。つまり、自分も謙虚に返す必要はないという主張です。

*2=自分の主張を誤認無く受け取ってくれたとしても、論点をズラしてくる方はやはりいらっしゃいます。ただ、相手が誤解しているのかしていないのかこの時点では分かりかねますし、「それがどうした?」で済ますのではなく、その真意を読み解いていくことに意味があると思います。