プライド、捨てます

昔っから馬鹿だったし、運動できないし、コミュニケーション苦手。

なのになぜかプライドだけは無駄に高くて、いつも「これくらい余裕っす」みたいな顔してた。

当然、そんな性格では友達が出来るわけもなく、小学校の頃からぼっち帰宅とか余裕でした。いじられるのは日常で、高学年になるといじめられもしました。

プライドが高いから、相手に嫌なことされると、相手が望む反応をしてしまうんですよね

「やめろよ!!」って怒っても、相手はその反応を望んでるので、そりゃより過激になるわって話。

そんなこんなで、中学高校もプライドを捨てられず、大学に行って辞めても相変わらずプライドは高いまま。

バイト先でフリーターが「俺、できますよ」アピールしてたら普通に痛い奴ですよね?

要はそういうことをずっと今までやってきてたんです。

今まで捨てられなかった「プライド」

嫌われるのが嫌だとか、ぼっちになるのが嫌だとか、プライドを捨てられない理由はいろいろあった。

でもね、実際のところ、僕はすでにぼっちなんですよ。

だからもういいやってなりました。

信頼とか信用とか失いたくないなって、今でも思わないことはないけれど、失うものがない段階まで来てしまった。

自分の偽るのもそろそろしんどくなってきたので、無能な僕は無能らしく、自分の醜態を晒していきます。

すぐには無理だろうけど、それでもプライドを捨てたい

最近、母が亡くなりました。

母が亡くなったら、メンタル的になにか変わるものがあるのかな、と思ってました。

よくあるじゃないですか、大切な人が亡くなったら、吹っ切れられて、性格が変わるとか。強くなれるとか。

でも、僕の場合はあまり変われなかった。

時間を大切にしなきゃいけないな、とか思ったりはするけど、仕事では相変わらずテンパったり焦ることもある。

そのテンパりや焦りはおそらく何かに対する恐怖から来ているのだろう。例えばクレームとか。

きっとクレームを言われて尊厳が傷つけられることを恐れているのではないかと思う。

クレーム対応自体は客を目の前にして焦ることは少なくなったけど、クレームが来る前に「この状態ではクレームが出る」という焦りは相変わらずあるまま。

こういうクレームとかって、母が亡くなったショックからすれば、微々たるものなんだけど、実際はそうもいかないみたいで、いざ状況を目の前にすると情けない自分がそこにいる。

僕は凡人だから仕方ないんですけどね。

筋トレを一回したところで筋肉がつかないように、メンタルも重ねて練習しなければ強くはならないのでしょう。

身体的なことはトレーニングが必要だと分かるのに、精神的なことになればすぐに出来ると勘違いしてしまいがちだけど、根底は同じ。

だから、ゆっくりと。それでも少しずつ、プライドを捨てていくしか無いんだろうな。

プライドを捨てて次の段階へ

他人の目を気にしなくなれば、何でも出来る気がする。

それはその時にならなきゃ分からないけど。

それでも変わるためには何らかの行動が必要だから、今はプライドを捨てることに専念しようと思います。

ブログでも恥ずかしいこと――失敗とか今までの出来事とか、どんどん公開していきます。

しばらく経って、心境的に何らかの変化があればメリットやデメリットを記事で公開しようと思うので、そちらも楽しみにしていてください。